従業員から「退職します」と申し出があった場合、会社としては「引継ぎが終わっていない」「今辞められると困る」と感じることがあります。
しかし、退職の意思表示そのものを会社が一方的に拒否できる場面は限られます。
従業員とのやり取りの中で、次のような場面が起きることがあります。
「1か月後に退職します」
「退職日までの期間は有給休暇を取得します」
「就業規則どおり、1か月前には申し出ています」
会社としては、就業規則に「退職は1か月前までに申し出ること」と定めていれば、退職までの間に引継ぎができると考えがちです。
しかし、従業員がその1か月間について有給休暇を取得する場合、形式上は1か月前申出のルールを守っていても、実際には退職日まで出勤してもらえないことがあります。
中小企業にとって、従業員から退職を申し出られること自体が大きな問題です。 すぐに代わりの人材を確保できるとは限らず、採用できたとしても、その人が業務を覚えて戦力になるまでには時間がかかります。
そのうえで、退職日まで有給休暇を取得されると、会社はさらに困ります。 次の人材を確保する時間が足りないだけでなく、退職する本人から引継ぎを受ける時間まで失ってしまうからです。
しかも、勤続年数が長い従業員の場合、有給休暇が多く残っていることもあります。 法定の年次有給休暇だけでも、繰越分を含めると最大40日程度残っていることがあります。
そのため、会社からすると、 「退職されるだけでも困るのに、次の人も見つからず、引継ぎもできない」 という非常に厳しい状況が起こり得ます。
ここで会社が「退職は認めない」「有給休暇は困る」と押し返しても、法的には慎重な判断が必要です。
退職の自由、有給休暇の取得、就業規則の退職申出期間は、それぞれ別の問題です。 会社が勝てない土俵で無理に争うと、かえって退職トラブルが大きくなるおそれがあります。
従業員の退職を、会社が一方的に拒否することは原則として困難です。
特に、退職申出期間中に有給休暇を取得されると、就業規則で1か月前申出を定めていても、人材確保や引継ぎの時間を確保できないことがあります。
だからこそ、会社は「退職を認めない」という対応ではなく、未消化有休の清算や退職金・協力金の上乗せなどにより、合意退職として着地できる条件を設計することが重要です。
このページでは、労働契約の終了場面のうち、「従業員から退職の申出があった場合に、会社は退職を拒否できるのか」という点に絞って整理しています。 特に、1か月前申出と有給休暇の取得が重なる場面で、会社がどのように対応すべきかを扱います。
退職届・退職意思の確認、退職意思の撤回、退職勧奨、合意退職、解雇などを含めた全体像は、総合案内ページで整理しています。
会社から見ると厳しすぎる「辞職」の基本ルール
まず押さえておきたいのが、辞職の基本ルールです。
辞職とは、労働者の側から一方的に労働契約を終了させる意思表示です。 会社と従業員が話し合って退職日や条件を決める「合意退職」とは異なります。
会社から見ると、辞職のルールは非常に厳しく感じられることがあります。
なぜなら、期間の定めのない雇用契約では、従業員はいつでも解約の申入れをすることができ、原則として申入れから2週間を経過すると雇用契約が終了するからです。
会社の同意がないと退職できない、という仕組みではありません。
つまり、会社が「まだ引継ぎが終わっていない」「後任が決まっていない」「今辞められると困る」と考えていても、それだけで従業員の退職を止められるわけではありません。
会社側から見ると、これはかなり厳しいルールです。 しかし、法律上は、労働者がいつまでも会社に拘束され続けることは予定されていません。
そのため、会社としては、「退職を拒否する」発想だけで対応するのではなく、退職までの進め方をどう調整するかを考える必要があります。
就業規則の「1か月前申出」は万能ではありません
多くの会社の就業規則には、次のような規定があります。
このような規定には意味があります。 会社としては、退職までの間に業務の引継ぎ、後任者の手配、貸与品の返却、社会保険や雇用保険の手続などを進める必要があるからです。
しかし、この規定があるからといって、会社が無制限に退職を止められるわけではありません。
特に注意が必要なのは、就業規則の規定を根拠にして、 「会社が認めるまで退職できない」 という運用にしてしまうことです。
- 退職には会社の許可を要する
- 引継ぎが終わるまで退職を認めない
- 後任が決まるまで退職できない
- 会社が承認するまでは退職扱いにしない
このような言い方や運用は、従業員の退職の自由を不当に制限するものとして問題になる可能性があります。
就業規則の「1か月前申出」は、退職時の手続や協力を求めるためのルールとしては重要です。 しかし、それだけで従業員の退職そのものを一方的に止められるわけではない、という点は押さえておく必要があります。
会社が本当に困るのは「人材確保」と「引継ぎ」が同時に崩れることです
中小企業にとって、従業員から退職を申し出られること自体が大きな問題です。
すぐに代わりの人材を確保できるとは限りません。 求人を出しても応募が来るまで時間がかかり、採用できたとしても、その人が業務を覚えて戦力になるまでにはさらに時間がかかります。
そのうえで、従業員から次のように言われることがあります。
「退職日は1か月後でお願いします」
「ただし、残っている有給休暇を使います」
「なので、最終出勤日は今日になります」
この場合、従業員は一見すると会社のルールを守っています。 就業規則どおり、1か月前に退職を申し出ているからです。
しかし、会社からすると、退職されるだけでも大きな痛手です。 そこに有給休暇の取得が重なると、さらに厳しい状況になります。
次の人がまだ見つかっていない。
見つかったとしても、すぐには戦力にならない。
そのうえ、退職する本人から十分な引継ぎも受けられない。
つまり、形式上は「1か月前申出」のルールを守っていても、 会社にとっては、人材確保の時間も、引継ぎの時間も同時に失われる という状況が起こり得ます。
ここで会社が、
- 次の人が見つかっていないから退職は認めない
- 引継ぎが終わっていないから有給休暇は認めない
- 会社が困るのだから出勤してもらう
と言いたくなる気持ちは分かります。
しかし、退職日までの期間に有給休暇の取得を希望された場合、会社が単に「人が足りない」「引継ぎが終わっていない」という理由だけで拒否することは難しい場面が多いです。
だからこそ、会社は「1か月前に申し出ること」と定めて安心するだけでは足りません。 中小企業では、退職者の代わりをすぐに確保できないことも多いため、退職の申出を受けた時点で会社が取れる選択肢は限られます。
退職時に会社が本当に準備すべきなのは、従業員を無理に引き止めるルールではありません。 人材補充がすぐには間に合わないことを前提に、有給休暇・引継ぎ・金銭条件をどう調整するかという実務上の打ち手 です。
「退職は認めない」「有給は困る」と押し返すほど危険です
この場面で、会社が強く押し返すと、かえってトラブルが大きくなることがあります。
退職を拒否する、退職届を受け取らない、有給休暇を一方的に認めない、という対応は慎重に考える必要があります。
従業員側が法律上の権利を前面に出してくる場面では、会社が感情的に押し返すほど、 話し合いは権利闘争になりやすくなります。
たとえば、従業員から次のように言われる可能性があります。
- 会社の同意がなくても退職できますよね
- 有給休暇は労働者の権利ですよね
- 退職届を受け取らないのはおかしくないですか
- 労働基準監督署に相談します
こうなると、会社としてはますます対応が難しくなります。
だからこそ、会社は「退職を認めるか、認めないか」という土俵で争うのではなく、 退職日、有給休暇、引継ぎ、金銭条件をどう調整するかという土俵に移る必要があります。
実務上の対応策1:未消化有休の清算を提案する
まず考えられるのが、未消化有休の清算です。
従業員が退職日まで全て有給休暇を取得すると、会社は引継ぎ時間を確保できません。 そこで、一定日数だけ出勤して引継ぎに協力してもらい、退職時点で残る有給休暇については金銭的に清算する、という提案が考えられます。
会社側のメリット
必要な引継ぎ時間を一定程度確保できる。
従業員側のメリット
有給休暇を無駄にせず、金銭的な清算を受けられる。
実務上のメリット
退職日・最終出勤日・引継ぎ日程を調整しやすくなる。
ただし、有給休暇の買い取り・清算には注意が必要です。
在職中の有給休暇について、会社が最初から「休ませない代わりに買い取る」という運用をすることは、年次有給休暇制度の趣旨との関係で問題になります。
ここで検討するのは、あくまで 退職日との関係で消化しきれず、退職時に未消化として残る有給休暇をどう扱うか という場面です。
会社が一方的に有給休暇を買い取って消滅させるのではなく、従業員本人の意向を確認したうえで、退職日、最終出勤日、有給休暇の取得、未消化分の清算を整理することが大切です。
退職のご意思は確認しました。
会社として退職そのものを無理に止めるつもりはありません。
ただ、業務の引継ぎとして最低限確認したい事項があります。
もし数日だけ引継ぎにご協力いただけるのであれば、退職時点で残る有給休暇については、清算する方向で調整できないかと考えています。
実務上は、まず未消化有休の清算から検討します。
未消化有休の清算は、従業員がすでに持っている権利を退職時にどう整理するかという調整です。 引継ぎに協力しても有給休暇を失わない形を示すことで、一定日数の出勤や業務整理に協力してもらえる余地が生まれます。
そのうえで、それだけでは十分な協力を得ることが難しい場合には、次の退職金・協力金の上乗せなど、追加の条件を検討することになります。
実務上の対応策2:退職金・協力金を上乗せする
もう一つ考えられるのが、退職金や協力金の上乗せです。
従業員が法律上は短期間で退職できる場面で、会社が一方的に退職を止めることは困難です。 そのため、会社が取れる現実的な対応は、従業員にとっても合意退職を選ぶメリットがある条件を提示することです。
たとえば、次のような設計が考えられます。
退職日
退職日を少し後ろに設定し、業務整理や引継ぎの時間を確保する。
引継ぎ協力
必要な範囲の引継ぎに協力してもらい、業務が止まるリスクを抑える。
金銭条件
退職金・協力金を上乗せし、合意退職を選ぶ理由を作る。
これは、従業員を金銭で無理に引き止めるという話ではありません。
会社が法的に勝ちにくい場面で、従業員の任意の協力を得るために、条件を整えるということです。
会社としては「本当はそこまで払いたくない」と感じるかもしれません。 しかし、引継ぎができずに業務が止まるリスク、取引先対応が混乱するリスク、後任者が何も分からないまま業務を引き受けるリスクを考えると、一定の金銭的調整をした方が結果的に損失を抑えられることもあります。
ポイントは、「退職を止める」のではなく、「合意退職を選ぶ理由を作る」ことです。
辞職よりも合意退職の方が本人にとっても合理的だと思える条件を設計することで、退職日・有給休暇・引継ぎを調整できる余地が生まれます。
その場で勝つのではなく、そう動かれても詰まない構造を作る
退職トラブルは、退職の申出があった瞬間に始まるように見えます。
しかし実際には、それ以前の会社の仕組みが影響していることも少なくありません。
たとえば、次のような状態になっていると、退職時のダメージは大きくなります。
- 特定の従業員しか業務内容を把握していない
- 有給休暇の残日数を会社が正確に把握していない
- 退職申出を受けたときの対応フローが決まっていない
- 退職申出時に、退職日・最終出勤日・有給取得希望・引継ぎ可能日を確認する担当者や手順が決まっていない
- 管理職が「退職は認めない」と感情的に返してしまう
このような状態で退職申出を受けると、会社は後手に回ります。
だからこそ、会社は「退職を拒否する規定」を強くするのではなく、 退職時に会社が困らないための仕組み を整える必要があります。
重要なのは、従業員の退職を力で止めることではありません。
退職日、有給休暇、引継ぎ、金銭条件を確認し、必要に応じて合意退職として着地できるようにすることです。
会社が勝てない土俵で争うのではなく、調整できる土俵に移すことが大切です。
退職届・退職意思の確認、撤回、意思表示の瑕疵とは別の問題です
なお、ここで扱っているのは、従業員の退職意思が明確であり、その退職の申出を前提に、会社が退職日・有給休暇・引継ぎをどう調整するかという問題です。
退職をめぐるトラブルには、似ているようで性質の異なる問題があります。
退職意思が曖昧な場面
感情的に「辞めます」と言っただけで、本当に退職意思があるのか、退職日がいつなのかが分からない場面です。
退職意思の撤回が問題になる場面
退職の意思表示はあったものの、その後に従業員が「やはり退職を撤回したい」と申し出る場面です。
退職意思表示の瑕疵が問題になる場面
退職届は出ているものの、「本意ではなかった」「強く迫られて書いた」「勘違いしていた」など、意思表示の有効性そのものが争われる場面です。
退職意思は明確だが、会社が困る場面
退職意思は明確であるものの、有給休暇の取得や退職日をめぐって、人材確保や引継ぎの時間を確保できない場面です。
たとえば、感情的なやり取りの中で「辞めます」と言っただけの場合には、まず本当に退職意思があるのかを確認する必要があります。
また、いったん退職の意思表示がされた後に、それを撤回できるのかという問題もあります。 これは「退職意思が本当にあったのか」という問題とは別に、退職の意思表示が有効にされた後、その撤回が認められるのかという問題です。
さらに、退職届が出ている場合でも、それが本当に自由な意思に基づくものだったのか、錯誤・強迫などによって退職の意思表示自体に問題がなかったのかが争われることもあります。
退職意思の撤回と、退職届における意思表示の瑕疵は、それぞれ別の記事で整理する予定です。
今回の記事は、退職意思が明確であり、その意思表示自体の有効性も大きく争われていない場面を前提にしています。
そのうえで、会社が退職そのものを拒否できるのか、退職日・有給休暇・引継ぎ・金銭条件をどう調整するのかを整理しています。
この4つを混同すると、会社の対応を誤りやすくなります。 退職意思が曖昧な場面では意思確認が重要になり、撤回が問題になる場面では撤回のタイミングが重要になります。 意思表示の瑕疵が問題になる場面では、退職届を書いた経緯や会社側の働きかけが重要になります。 一方で、今回のように退職意思が明確な場面では、退職日・有給休暇・引継ぎをどう調整するかが重要になります。
まとめ:退職を拒否するのではなく、退職時に会社が詰まない構造を作る
従業員から退職の申出があったとき、会社としては「今辞められると困る」「次の人が見つかっていない」「引継ぎが終わっていない」と感じることがあります。
しかし、期間の定めのない雇用契約では、従業員の辞職を会社が一方的に拒否することは原則として困難です。
さらに、退職日まで有給休暇を取得されると、就業規則で1か月前申出を定めていても、実質的には人材確保や引継ぎの時間を確保できないことがあります。
会社が考えるべきことは、「退職を認めない」という対応ではありません。
未消化有休の清算や退職金・協力金の上乗せなどにより、従業員にとっても合意退職を選ぶ方が合理的になる条件を設計することです。
退職を止めることにこだわると、会社は勝てない土俵で争うことになります。
そうではなく、退職日・有給休暇・引継ぎ・金銭条件を整理し、 退職時に会社が詰まない構造を作ること が重要です。
就業規則の規定、退職時の確認フロー、有給休暇の管理、業務の属人化対策、退職条件の提示方法を整えておくことで、退職トラブルの大きさは変わります。
退職を力で止めるのではなく、退職時に会社が困りにくい仕組みを整える。 それが、従業員の退職を拒否できない場面で会社が取るべき実務対応です。
退職対応で迷った段階でご相談ください
従業員から退職の申出があった場合、会社が退職そのものを拒否できる場面は限られます。 しかし、退職日、有給休暇、引継ぎ、金銭条件をどのように整理するかによって、会社のリスクは大きく変わります。
田中社会保険労務士・行政書士事務所では、退職の申出を受けた後の対応について、 会社側の立場から、退職日・有給休暇・引継ぎ・合意退職への着地方法を整理しています。
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